こちらを先に見た方は、前の記事を読んでから読んでくださると嬉しいです。
え〜〜と、「暴力で物事が解決しそう」になってるってところからですね?
そもそも、「テロに屈しない」と言う態度そのものが
「暴力で物事を解決しようとする」態度ではないでしょうか?
どこかの米の国の方々は、
「テロに屈しない」ために、軍を派遣するどころか空爆までしているんですよ?
それが、「テロに屈しない」と言うことなんじゃないですか?
テロで受けた被害を遥かに超える被害を与えることも辞さない、
テロ以上の破壊を行うことも決断する・・・それが「テロに屈しない」態度です。
ですが、「テロに屈しない」と声高に叫ぶだけでは、
「実はテロに屈しそうなので鼓舞している」としか見えません。
確かに、「テロに屈しない」と言う姿勢は素晴らしいですけどね?
ですが、考えてみてください。
あえて嫌な言い方をしますが、
国民が数人死んだところで、国は何も変わりませんよね?
実際、いくらイジメを苦に自殺する者がいくらいても
国の教育方針は「均一化」から抜け出せていないじゃないですか?
そして、元次官であろうとも、
辞めたら現在は普通の国民と変わらないハズです。
だから、今回の事件で国が変わるわけがないのです。
(国民が数人死んだところで、国は何も変わらないからです)
ならば、「政治的目的」が達成できるはずがないのです。
つまり、連続殺傷事件がテロとは言えないことも導けます。
でも、彼等は連続殺傷事件をテロだと決め付けます。
では、何故彼等はテロだと決め付けるのでしょう?
「テロに屈しない」のであれば、
今の段階でテロだと決め付ける必要はないはずです。
・・・テロの標的が自分達になるかも知れないと恐怖してるからでしょうか?
もしそうならば、すでにテロに屈していると同じじゃないですか?
国民をいくら踏みつけても何も感じないのに、
自分達が攻撃されると途端に尻込みしてしまう。
・・・何とも情けない話ですね?